2021年10月20日 はれ。
こんにちは。「2ひきのねこ(長女と長男)」の父です。
「中学受験って、ぶっちゃけどうなの?」と迷っていませんか?
この記事では、我が家の「中学受験は 是か非か」論争を赤裸々にご紹介します!
今回は、この議論を展開している【「2ひきのねこの父」と「2ひきのねこの母」がどのような人物なのか】について、父独自の視点で書いてみたいと思います。
※これまでの議論は、↓コチラからチェックしてみてください。
「中学受験は 是か非か!? #1(父の場合)」
「中学受験は 是か非か!? #2(母の場合)」
「中学受験は 是か非か!? #3(東京の場合)」
「中学受験は 是か非か!? #4(母の意見)」
「中学受験は 是か非か!? #5(父の意見)」
「中学受験は 是か非か!? #6(母から見た父)」
母は実務的 父は理念的
父は、真理を追いたがるし、全体像(大きな絵)を描きたがります。
母は、現実的なことがみえているし、実務的に細部をきちんと詰めていける人です。父は、母のことを尊敬しています。
母は問題集型 父は参考書型
趣味で(つまり仕事とかお金とかは「全く」関係なく)、
夫婦で資格試験を受けたりするんです、我が家は。
え?理由? 単純に「面白いから」です。
夫婦で盛り上がれるから、最高にオススメですよ!!!
さて、そんな感じに、同じ試験の試験勉強をしている際、
母は問題集をモリモリやっている傾向がありますが、
父は参考書をじーっと眺めている傾向があります。
結局ふたりとも合格するので、
勉強方法には、
「量が質を生む方法」と
「質が量を生む方法」と
2つの方法がある
と感じています。
それは例えば、
カレーとは何か?
海原雄山
と問われたとき、
「世界中のカレーを食べ歩く」方法と、
「1つのカレーを味わい尽くす」方法と、
どちらでもまあまあ正解にたどり着きそうなのと同じです。たぶん。しらんけど。
母は語学の天才 父は語学の頓珍漢
母は、語学の天才ですね!
純ジャパだし、留学経験もないんですけど、
母国語の日本語以外に、英語と韓国語が堪能です。
いやまあ、世の中、上には上がいらっしゃるものなので、なにをもって「堪能」というのか難しいところなのですが、
母は、仕事の同僚やら上司部下やらの多くが、外国籍の方とか帰国子女だったりとかで、仕事の大半を(文書も会話も)英語で日々こなしているようですが、(母本人なりに悩みはあると思うけど)楽しそうにやっている、というレベル感です。
あと、韓国語は、知人の韓国人の方が、(母の韓国語を聞いて)「ネイティブかと思いました」と(たぶんお世辞ではなく)絶賛してました。しかも、母は韓国語を大学時代から趣味で勉強しはじめただけらしいですから、父的には驚くしかありません。
父は、かなりの語学音痴です。かわいそうなくらいです。
そりゃまあ、テストはできるように「しました」けれど、
それは単に「手段として」「仕方なく」「かなり嫌々」「心を閉ざして」「義務的に」「表面的に」やっていただけでして、
「結果的には」「運よく」センター試験だのTOEICだのは高スペックでしたけれど、あんなものでほんとの英語力は分かりませんし、父は語学がほんとうにズタボロです…。
「林檎がなぜappleか」ってところから紐解きたくなるんです。
でも、語学って「学」ってより「体操」みたいな要素がありません?そうすると、口と手をたくさん動かした方がいいと思うんです。
そういった意味で、やはり、頭ばかりを動かしたくなる父は、語学に向いていないのです。
母は記憶力がよい 父は記憶喪失レベル
父は、母をみてると、「母の記憶力、うらやましいなあ」と思っています。ずるいよな、と。
母は自分のことを「凡人」とかよく言ってますけど、
それはちょっと、自分のことがみえてませんね(笑)。
他方、父の記憶力は、悲惨です。子供のころ、「自分はちょっと病気なんじゃないか」って真剣に悩んだことがあるくらいです。
だからこそ、「絶対に覚えなくていい勉強法」とか「”忘れる”ことを織り込み済みの勉強法」とか「考える勉強」とか「好きなことから一点突破全面展開していく勉強法」とかを独自に編み出して、テストをひゅるる~と乗り越えてきました。
んでもって、それらの方法論は、講師業でたくさんの生徒さんに伝授して、その生徒さんたちが(もちろん皆さんの努力の賜物なんですけど)成果をたくさんあげてくれたので、わりと普遍性があると思っています。
こういった経験から、父は「才能より努力」「人は後天的に伸びる」と心の底から信じています。母が「人は先天的なところが大きい」となぜ思っているのか、その理由はあんまり聞いたことないですから、今度聞いてみたいですね。
そんなこんなで、父は、
人からは「天才」だの「頭いい」だの飽きるほど言われてきた人生ですし、
噂によるとIQが相当高い(←たぶん意味ない!)らしいんですけど、
なんてことはない、水面の下では散々モガキ続けている凡人ですね。父なんかより頭が良い人は、大学時代に、掃いて捨てるくらいいました。
父は、「学ぶことが本当に好き」という点に人生を救われてきただけです。
あ、ちなみに父は、
どうしても覚えないといけないことは「3次元の映像」で覚えています。それなら忘れずに覚えていられるからです。
例えば「カレーとは何か」みたいな抽象論も、すべて3次元の映像です。
その方法を人に伝えたことが何回かありますけれど、あまりに理解してくれる人が少ないので、もう他人にこの方法を説明してみることはやめましたwww
まとめ
いままでの話って、ぜんぶ実はつながってると思うんです。
母は、
記憶力が良いから、
単語とか会話とかガンガン覚えられて、バンバン実践できるし、
相当量の問題集をちゃんとこなせて、力をつけられて、
結局実務能力に長けているんですよ。
他方、父は、
極端に記憶力が欠乏しているから、
原理や理念から考えることでそれを補うようにしてて、
だからこそ問題集より参考書だし、
しかしそれは語学では裏目に出がちなのです。
そんでもって、
結局、父も母も、「自分で」「自分の特性」を見極めて、工夫しています。
もちろん、見極める過程では、先生とか家族とかから助言もあったのかもしれませんが、
やはり最終的には自分で工夫したんだと思うのです。
「学びスタイル」は とても重要
そうしますと、やはり、
子供の個性に合わせて、子供が自ら学んでいく
というのが正しい道なのだと、父は思うのです。