2022年9月13日 くもり。
こんにちは。「2ひきのねこ(長女と長男)」の父です。
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AERA with Kids元編集長の江口祐子さんが、子育てについて語ってくれています(元記事(wedge online)は→コチラ)。
AERA with Kidsといえば、発行部数4万部の親向け実用雑誌ですから、お読みになったことがある方も多いかと思います。
君たちにとって「大きな岩とは何だろう」
『この壺は満杯か?』寓話も印象に残っている。
簡略化するとこんな話である。
ある先生が壺の中に岩を入れていき、いっぱいになったときに「この壺には満杯か?」と生徒に問うと「はい」と生徒たちは答える。「いや違う」と先生は言って砂利を岩の間に流し込んでいく。
「これでいっぱいになったと思うか」と訊くと「多分違います」と生徒は答える。先生は「そうだ」と言って砂利の間に砂をサラサラと入れていく。また「この壺は満杯か?」と先生が訊くと生徒たちは「いいえ」と答える。すると先生は水差しを取り出して、壺に水をなみなみと注いでいく。
そして最後に先生は「私が言いたいのは何だと思う?」と生徒に尋ねる。
「いっぱいになっていると思っているものでも、努力をすればまだまだ詰め込めるという話です」と生徒が言うが、先生は「それは違う」と答える。
人生はこの壺のようなものだ。大きな岩を先に入れない限り、それをいれる余地はその後二度とないということだ。君たちにとって「大きな岩とは何だろう」と問いかける、という話だ。
同上
この寓話を通して、「『子をもつ親』である自分を第三者的にみつめたときに思うこと」は、2つです。
1つ目は、
寓話が示している通り、人間が発達していく過程で「いい感じの順序って、あるかもなー」ということです。
そして2つ目は、
父は、アホな『親』の立場から、近視眼的に「子供達にとって、なにがいい感じの順序かな」とついつい思いを巡らせてしまっているような気がするけれど、
しかし思い返してみると、『子供は概ね自らの力で育っていってる』のであって、もしかしたら、「親の役割は、それを邪魔しないこと」なのかもしれなくて、だとしたら、「子供たちにとっての『大きな岩』が何か」は、子供自身が知っていることなのかもしれない、ということです。
昔、大学のときに、先生が、「健康な小児に、あれ食べろー、これ食べろーと、あまり言わなくて大丈夫やと思います。ちゃーんと何が必要か、身体が知ってるはずですわ。」と仰っていたことを、今でも時折思いだすのです。