2022年8月12日 あめ。
こんにちは。「2ひきのねこ(長女と長男)」の父です。
・・・
石田勝紀さんが、ノートについて語ってくれています(元記事(EduA)は→コチラ)。
巷のノート論は、
作ることに主眼があったり(←学習内容の修得が主眼であるはずなのだが。)、
ライフハックレベルのものであったり(←裏紙レベル&鉛筆1本で十分なわけだが。)、
板書の写経の重要性を説くものであったり(←理解の方が重要なので、動かすべきは手ではなく頭や口なのだが。)、
そのほとんどが共感できないものなのですが、
石田さんの「ノート活用術」は、とても共感できました!!
板書を写すことに意味はない
私は、授業中、板書をノートに写すことに意味はないと思っています。板書を写すのって受け身ですよね。授業で大事なのは先生の話を聞くこと。板書は後でコピーをもらえば済みます。とはいえ、多くの学校では授業中、ノートを取らないと怒られてしまいますよね。受け身ではなく主体的にノートを取りたいなら、先生の話を聞いて、重要だと思ったところをメモしましょう。
同上
こんなに黄色のマーカーを引いたのは、初めてなのではないでしょうか? それほどはげしく同感です。
…
むしろ、板書されていること「以外」のことをササっとメモしておく方が、深めるときや、脳の引き出しから取り出すときに、役立ちます。しかも、ノートではなく教科書に、直接。ノート、いらんと思います。
「入口のツールとしてのノート」は、アリ!
子どもは自分にとってメリットがあれば動きます。時間の概念が未熟なうちは「将来役に立つ」といった未来の話ではなく、目の前の状況が楽しいということが子どもにとってのメリットになります。普段のノート作りが楽しくなれば、自ら学ぶ意欲が高まります。…(中略)…楽しいからやりたいと思い、主体性が生まれるのです。
同上
なるほど。
父は、そもそも「『学ぶ』ということを楽しいと思える人生」を基本的に過ごしてきたので、このポイントを見逃していました。
なるほどーー。
つまり、
「学ぶことへの、楽しさとか主体性といったようなものへの、開花が、あと一歩の状態」の児童が、学ぶことに対して更に意欲的になるためのツールとして、ノートを使うという発想は、
なるほどなあと思いました。
新しいシューズを買うとスポーツジムに行きたくなるもんなあ、なんて思い出しながら、納得してしまった次第です。