newsレビュー/慶應義塾の伊藤公平塾長

記事レビュー

2022年1月26日 はれ。(今朝ちょいと公務があって雪の予報にびびっていたけど、よかったーーー! 嗚呼、こんな中、(物流など)働いてくださっているみなさまありがとうございます。)

長女がお絵描きしながら、「ねえ、ねえ。これね、雨とか雪とかを遮る巨大カーテンなの。すごいでしょ。」と。

それ、ほんとに発明してくれ。>長女

おはようございます! 「2ひきのねこ(長女と長男)」のです。

対面授業は9割

(慶応義塾大学は)この4月からの対面授業は9割とし、昨年12月24日に大学ホームページで公表しました。

Yahoo!ニュース/EduA(元記事は→コチラ

時流的にはオンラインの方向であり、

そこにわざわざ竿さして逆張りするってことは、

なにか思惑があってのことでしょうね。

悪くない。

論拠や信念が裏側にあれば、なお悪くない。

かなりの余談ですけど、

父は、授業があろうがなかろうが、

朝食(と言っても、そのタイミングは昼くらいのことも多かったけど)をほぼ必ず学食に食べにいって、友達とたわいもない会話をしていました。

さりとて、

「たわいもない=実りのない」ではない。

生涯の友にキャンパスで出会う

対面授業を9割にすることで、学生が大学に来たいと思わせるシステムをつくることが大事です。そして生涯の友にキャンパスで出会うのです。。

同上

なるほどね。

結局のところ、この学長さんが仰りたいことは、

目的=生涯の友にキャンパスで出会う

手段=学生が大学に来る

ってことですかね。

オフラインとオンラインの違いって、いったい何なんでしょうかね?

いろいろ言われているけど、結局は「人肌」なんでしょうか。

無意識の意識みたいなものは、この令和4年の段階では、まだオフラインに軍配があがりそうですよね。

父の大学時代にあった(いまもあるのかは不明)、

「よくわかんない(けど心血注いだ)落書き」(哲学的、倫理的、数学的などなどの「これは真か」みたいな”落書き”)

はオフラインじゃないと(いまんとこ)実現不可能だと思うな。

あの落書き(という名の、科学的には「人類的に意義のある真理的な問い(の可能性が1%残された落書き)」)は、

いまも、父の心に、刻まれていますよ(>優秀な落書き作者たちへ)。

なんだろう、インクの質感なんでしょうか。

誇り高き異端

慶應は誇り高き異端として、先に進む提言を示す集団です。

同上

なるほどーーー。

んーーーーーー。

「異端」と自ら述べている意味は…

①異端がカッコいいと思っている(学問って、批判するところに本分があったりしますので、次世代の本流がいまは異端だったりして、そういう意味では「異端」を目指すのはありうるのかもしれない)

②「先」に進むには異端の方が早いと思っている(いま正統だと次世代には「遅れている」ことにもなりかねないから、異端を目指すくらいでちょうど先をいけるというのも、ありうる発想かもしれない)

ってことなのかな。(違っていたら申し訳ない)

でも、「誇り高き」と”わざわざ”発言して自らの発言で自分をわざわざ鼓舞(正当化)しなければならないところに、「”学長”の悲哀があるな」という印象。

「自分達こそが主流派だ」と言えばいいのに。

それが言える立場にあるのに。

残念。

しかし、「大学とは何か」を強く探求しようとしていることは、

お見事。

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